動物と干支の関係とは?
◆干支のなりたち
干支は、干と支の組み合わせで、干は十干(じっかん)、支は十二支(じゅうにし)のことです。
現代の日本では、干支というと十二支を指して使われることが多いですが、二つの要素が組み合わされたものだったのですね。
十干とは、日(太陽の巡り)を数えるための数詞で、1ヶ月を上旬、中旬、下旬と十日ずつに分けて、その十日を単位にしたものです。
十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸から成り立っています。
十二支とは、十二年で天を一周する木星の軌道上の位置を示すための任意の数詞で、年、月、日を数えるのにも用いられるようになりました。
十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥から成り立っています。
干支は、60をひとつの周期とする数詞で、この十干と十二支の組み合わせで、暦や時間、方位などを表すのに使用されます。
60歳を迎えた人を祝う還暦という習わしがあります。60年が経つと、暦(こよみ)が一周して生まれた年の干支にもう一度戻るので、もう一度生まれ変わって始まるという意味があると考えられたためです。
還暦のお祝いで、赤いちゃんちゃんこを着るのは、60歳になって、もう一度赤ちゃんから新しく始めるという理由からなのですね。
◆いつ干支ができた?
いつ干支ができたのかは、実際のところ、定かではありません。
ただ、紀元前17世紀頃から紀元前11世紀に中国の殷の時代の遺跡から発見された甲骨文に、十干と十二支を組み合わせて60を周期とする表があり、日にちを表すものとして使われていた様子が伺えます。
そして、紀元前217年に死んだとされる秦の官吏の墓から見つかった竹簡には、十二支に12種の動物が割り当てられているものが発見されたとのことです。
また、後漢の時代に王充という人によって書かれた論衡という文献に、干支の十二支に動物をあてはめたという記述があるともいうことです。
日本書紀には、西暦553年ごろに貿易をしていた百済から、中国歴(太陰太陽暦)が伝わっていたことがわかる記述があるそうです。
◆干支の十二支と動物が組み合わされた理由
十二支に対して動物が配置されるようになった理由としては、王朝が使う暦を様々な民衆にわからせて浸透させるために、周辺の未開地にいる民や字を読めない民にも覚えやすい動物名をあてはめたと考えられます。
正式な子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥という音に合わせて、似た読みをしたり、なじみが深かったりする動物を当てはめていったという理由なのです。
当てはめられた動物は、次のようになっています。
子(シ)=鼠(ね)
丑(チュウ)=牛(うし)
寅(イン)=虎(とら)
卯(ボウ)=兎(う)
辰(シン)=竜(たつ)
巳(シ)=蛇(み)
午(ゴ)=馬(うま)
未(ビ)=羊(ひつじ)
申(シン)=猿(さる)
酉(ユウ)=鶏(とり)
戌(ジュツ)=犬(いぬ)
亥(ガイ)=猪(い)
◆それぞれの動物の意味とは?
それぞれの動物に、干支の縁起の良い意味があります。
子=鼠
子供がすぐ増えるので、子孫繁栄の意味があり、行動力と財をなす象徴とされます。
丑=牛
牛は労働力として、また肉ともなることから、とても大切な存在であるという意味があり、誠実さと粘り強さの象徴です。
寅=虎
毛皮が美しいことから、決断力があることと英知の象徴です。
卯=兎
大人しいことから家内安全、跳ぶことから跳躍の意味があり、温厚と従順を象徴します。
辰=竜
中国では竜は権力者の象徴であり、正義感と信用の高さの意味があります。
巳=蛇
蛇は執念深いが助けてくれた人への恩も忘れないという意味があり、探究心と情熱の象徴です。
午=馬
人の役に立つ馬は大切にされてきました。陽気さの象徴です。
未=羊
羊の群れから家族の安泰を示し、長く平和に過ごせるという意味があり、穏やかさの象徴です。
申=猿
猿は山の賢者とされて、神の使いとも信じられていた意味があり、器用さや臨機応変さの象徴です。
酉=鶏
商売において縁起が良い生き物とされ、親切と世話好きの象徴です。
戌=犬
人との関係が長くて親しみ深く、従順で社会性がある犬は、努力家で勤勉であることの象徴です。
亥=猪
猪の肉を食べると病気が治るとされ、無病息災の意味があり、勇気の象徴です。
猫が干支に入れない理由は?
猫が干支に入れなかった理由としてある説には、次のようなものがあります。
◆理由①ねずみに騙された説
お釈迦様が「元日の朝に私の元に一番早く来たものから順に、十二番目までの動物を一年交代でその年の守り神にする」というおふれを出しました。猫が鼠にこのおふれの日にちを確認したところ、ねずみは1日遅れた日を教えてしまいました。
元日、牛はまだ暗いうちに、足が遅いからといって早く出発しました。その様子に気づいた鼠は、牛の背中に乗って一緒にお釈迦様のところに向かいました。牛が到着するよりも先にねずみは牛の背中から飛び降り、一番乗りとなりました。
その後、牛、虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪という順でお釈迦様のところに到着しました。
猫は次の日にお釈迦様のところに来ましたが、時すでに遅しで、十二支には入れませんでした。
猫が鼠を追いかけるようになった理由も、ここから来ているとされています。
◆理由②ねずみを食べてしまった悪者説
そのほか、猫が十二支に入れてもらえなかった理由としては次のようなものがあります。
お釈迦様に頼まれた薬を取りに行った鼠を猫が食べてしまったために、十二支に入れなかったという説です。
この薬がなかったためにお釈迦様が命を落としたといった話もあるくらいなので、猫はなぜか悪者になってしまっていますね。
これらの説は、猫が入っていない理由を、後付けで考え出されたものとされます。
◆理由③干支が作られた頃に猫が知られていなかった説
干支や十二支が作られた頃には、まだ中国では猫があまり知られておらず、それほど飼われていなかったため、という説があります。
猫がペットとして人間に飼われるようになったのは、約4000年前の古代エジプトの時代であると言われています。他には、約8000年前の古代キプロスが起源であるという説もあります。
猫は中東から中国にも広まっていったと言われていますが、それは紀元前200年ごろだとされています。
しかし、中国で家畜として飼われていた猫の骨が見つかり、これが5300年前のものであることが、放射性炭素年代測定の結果わかりました。
この猫が耕作物を食べる鼠などのげっ歯類を食べていたことがわかり、人の住む近くに暮らしていたと考えられます。
このことから、干支が出来た頃でも、猫は民衆とかかわりあっていた可能性があります。
なぜ猫が干支の十二支にいないのか、といったことは、中国ではすでに猫が身近な生き物であったとすると、何か別の理由があるのかも知れません。
海外の干支には猫もいる?
日本の干支には猫がいませんが、海外の干支には猫がいるところもあるのです。
◆ベトナム・チベット・タイの干支
ベトナム・チベット・タイでは、卯の干支には猫があてはめられています。これは、卯の発音「Mao」が猫「Meo」に似ていることと、兎よりも猫の方が身近な生き物であったためだと考えられます。
猫好きの人は、ベトナムに行くと、猫年というものを経験できるということになりますね。
猫は、ベトナムでは農作物を食い荒らす鼠を退治してくれる、大切な生き物とされているそうです。
また、ベトナムにおいては、猫年生まれの人は思慮深く平和主義、損得勘定が得意、社交的、周囲の環境に適応できる、といった占いがあります。
猫以外にも、亥にあてはめられるのは、日本では猪ですが、ベトナム・チベット・タイでは豚になっています。また、牛は水牛、未は山羊になっています。
◆ブルガリアの干支
ブルガリアでは、寅(日本では虎)が猫になっているとのことです。虎と猫は同じ猫科ですから、動物としては近いと言えますね。
中国で十二支ができた時に猫がいなかったのは、猫が身近な生き物ではなかったからと言われています。
干支に猫がいない理由のまとめ
日本の干支の十二支には猫がいませんが、中国から伝わった時に猫がいない状態で伝わったため、ということになります。
ただ、亥が豚ではなく猪となったこと、江戸時代には干支は民衆に広まっていましたが、猫はそれ以前の奈良時代から人々に飼われていて身近な動物であったことをふまえると、なぜ猫があてはめられなかったのかはわからないと言えます。
実際に、ベトナムなど他の国では猫年があるので、猫がいた日本で十二支の中に猫が入っていないのは、現代でも不思議に感じるところです。
現代ではペットとして猫に人気がありますので、干支の十二支に猫年がないのを残念に思う人も多いかも知れませんね。
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