初めて宇宙に行ったのは犬?
人類が初めて宇宙飛行に成功したのは、1961年のことです。
ソ連が行った初の有人宇宙飛行。この時、宇宙船ボストーク1号に単身搭乗をしたのは、宇宙飛行士ユーリィ・ガガーリンでした。ガガーリンは前人未到の大気圏外へ飛び出し、地球周回軌道に乗った初めての宇宙飛行士として有名な人物ですね。
しかし、実は初めて地球の周回軌道に乗った動物は、人間ではありません。
有人宇宙飛行を成功させる為に、人類は何度も実験を重ねました。その実験で、打ち上げられた様々な動物たちがいたことをご存知でしょうか。
繰り返された実験の末、初めて地球の周回軌道上に乗った動物は、「ライカ」と呼ばれる犬だったのです。
1957年、ソ連の宇宙船スプートニク2号にて、この犬は宇宙飛行士として打ち上げられました。
それ以前にも様々な動物が宇宙へと送り出されていましたが、弾道飛行に留まり、軌道周回には至っていませんでした。
地球の周回軌道に乗った初めての動物、宇宙飛行士は、人間ではなく犬だったのです。
犬の宇宙飛行士ライカの物語
ライカは巻尾で体重5kg程度の小柄なメス犬でした。
後に宇宙飛行士となるこの犬ですが、ライカは犬種名で、名前は「巻き毛ちゃん」を意味する「クドリャフカ」であるとの説もあります。今回はこの犬の宇宙飛行士を、世界的に浸透している「ライカ」という呼称で紹介します。
当時、実験の為に訓練されていた犬は20匹以上いたといわれています。訓練を受けていたのは、ほとんどがライカの様に小型のメス犬だったそうです。
メス犬の方が環境適応能力がオス犬より優れているという考えや、排泄姿勢が理由で、メス犬ばかりが選ばれたといわれています。
訓練の内容は、ロケットで高度200キロまで打ち上げられた後、パラシュートで降下するものであったり、数週間小さな気密室に閉じ込められる等という大変厳しいものでした。訓練生として選ばれた犬達は、このような訓練を何度も受けていたそうです。
スプートニク2号の為に、訓練を受けた犬達の中からアリビーナ、ライカ、ムーハの3匹が選ばれました。
アリビーナは既に観測ロケットでの飛行経験がありましたが、最終的にはライカが選ばれました。
3匹の犬の中で、一番おとなしく優秀であり、厳しい訓練の中でも、体調に変化をきたすことが少なかった為です。
搭乗が決定したライカには、宇宙食に慣れる訓練が施されました。
アリビーナはライカの控え用となり、ムーハは計器と生命維持装置のテストに使われたそうです。
この3匹は、スプートニク2号の狭いキャビンへの適応を目的として、20日間かけて徐々に小さな檻に移れさていきました。
そして1957年11月3日。ライカは特別な気密服を着せられ、自動供給される数日分の食糧と共に、狭いカプセルの中に鎖でつながれて、宇宙へと旅立ちました。
宇宙船スプートニク2号は、重量たった18kgのカプセルです。
発射の際に発生するガスを吸収するための装置、酸素を供給する装置、カプセル内の温度を15度に保つ為の自動温度調節装置。
そして、紫外線やエックス線を計測する観測機、無線送信機、犬の脈拍・呼吸数・血圧の計測装置等。
たったこれだけの装置を備えた宇宙船に、ライカは乗せられたのです。
当時の技術では宇宙船の発射はできても、大気圏の再突入を可能とすることはできませんでした。
この犬は帰還できない前提で宇宙飛行士とされたのです。厳しい訓練の末にライカが得たものは、孤独な宇宙への片道切符でした。
打ち上げの翌日、『宇宙空間に初の生物』という内容のニュースが世界中に知れ渡りました。
人々の興味は、一斉に犬の命に向けられます。無事に地球へ戻す計画がある、またその回収方法までを解説する新聞までがあったそうです。報道内容は交錯し、『犬は薬殺された』『モスクワから30キロの地点に無事着陸した』等、様々なニュースが世間を騒がせました。
しかし、打ち上げから8日経った11月11日。ライカの死が、ソ連より正式に伝えられました。
『犬は打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死した』
『犬は少なくとも宇宙空間で一週間は生き、痛みもなく軌道上で死んでいった』
このような発表内容が、打ち上げ以来40年近く伝え続けられました。
しかし、ライカの死については当時から様々な情報が交錯します。政府の意向もあり、真実は伏せられたのでしょう。
そして2002年。米国テキサス州で開かれた会議で、これが大きな嘘であったことが証明されました。
犬の宇宙飛行士ライカは、発射後数時間で死を迎えていたのです。
発射後のカプセルの高温化とパニックが、この犬に死をもたらせたといわれています。
生命確認装置により、ライカの脈拍情報は地上基地で受信されていました。
発射直後のライカの脈は通常の三倍となり、それが下がり始めたのは無重力状態になってからだったそうです。平常の脈拍へと戻るまでに、地上と比べて三倍もの時間が費やされていたのです。これは、相当なストレスを感じて、パニック状態に陥ったことを証明しています。
更に、断熱材が一部損傷し、船内は摂氏15度から41度に上昇。飛行開始からおよそ5~7時間後以降、ライカが生きている気配は装置から確認できなかったといわれています。
このような実験結果がもたらされており、その情報を得ていたにも係わらず、ソ連は『生命は宇宙空間に長時間耐えることができる』と発表したのです。
スプートニク2号は、死を迎えたライカを乗せたまま、地球の周回軌道を2,570回周りました。
そして1958年4月14日。地球の大気圏へ突入して燃え尽きたのです。
犬の宇宙飛行士、ライカの永い孤独な旅は、こうしてようやく終わりを迎えました。
ライカは名前だけでなく、死亡原因までが不明瞭なままです。
装置の受信データからは正確なところが分からず、酸素不足が原因であった等、様々な死亡理由が囁かれています。
ただ一つ明確なのは、一匹の犬が、人類の夢の為に死んだということです。
ライカが何を思って死んでいったのかは分かりません。ただひたすら、『上手にできたらまた褒めてもらえる』と思っていたのかもしれません。
言ってしまえば、宇宙開発が生んだ犠牲です。しかし、一人旅立ったこの犬を犠牲と呼ぶにはあまりにも酷です。ライカは人間の言う通り、上手にできたのですから。
この宇宙飛行士となった犬のことを思えば、悲しくて涙が溢れます。どうしても人間が行なったことを謝りたくなりますが、私たちが言うべきことは、ありがとうなのかもしれません。
宇宙へ行った生き物はライカ以外にも
宇宙開発の歴史の中で、動物・昆虫・植物等、様々な生物が宇宙へと旅立ちました。
1947年にミバエが初めて宇宙へ行った生物となり、以降、現代までに沢山の種類の生物が打ち上げられています。
今回は、宇宙飛行士となった動物をいくつか紹介します。
●猿
1949年、アカゲザルのアルバート2世が初めて猿の宇宙飛行士となりました。残念ながら、パラシュートの故障で地面に激突して死亡しています。
1958年にはリスザルのゴードが、発射時の10G、8分間の無重力状態、大気圏再突入時の40Gに耐えたと発表されていますが、回収用のパラシュートが作動せずに死亡しました。
1959年には、アカゲザルのエーブルと、 リスザルのベーカーが打ち上げられました。2匹とも38G、約9分間の無重力状態に耐え、最高速度16,000km/hで16分間飛行。良好な状態で生還しましたが、エーブルは4日後に麻酔が原因で死亡しています。
1961年、チンパンジーのハムが、レバーを引くように訓練され、弾道飛行中に動物が作業可能であることを立証しました。同年11月には、チンパンジーのエノスが、地球軌道を周回した初めてのチンパンジーとなります。
この他にも、1969年にはアカゲザルのボニーで霊長類による初の複数日ミッションを行ったり、1970年から1990年代までには14匹の猿が打ち上げられています。
●犬
1951年、ツィガンとデジクが弾道飛行を成功させ、無事に帰還しました。しかしデジグは後の飛行で死亡しています。この後、1957年にライカが初めて軌道を周回した動物となります。
1960年にはベルカとストレルカが、地球軌道周回の後、無事に生還した初めての動物となりました。
1966年、ヴェテロクとゴリョークは22日間を軌道上で過ごし、これが犬の最長滞在記録となったのです。
1970年代からは各国で犬の打ち上げはされておりません。しかし、ソ連は1961年の春までに、48匹の犬を打ち上げています。このうち、宇宙飛行に成功した犬は9匹で、生還できなかった犬は12匹いるといわれています。
●その他の動物
1950年、ハツカネズミがV2ロケットにて高度137kmまで到達しました。1970年代からは、ソ連のビオン計画に何度もラットが利用されています。ネズミやラットは現代までに、各国で幾度も打ち上げをされた動物といえます。
1963年には、猫のフェリセットが初めて宇宙へ行って生還した猫となりました。この時、神経衝撃測定の為、頭には電極が埋め込まれていたそうです。
1968年には、ヨツユビリクガメが月を周回し、深宇宙に行った初めての亀となります。
今回紹介した動物以外にも、沢山の生物が人類の大きな夢への礎となりました。
宇宙開発、ガガーリンの宇宙飛行士としての成功の裏側には、犬のライカや実験に携わった動物たちの存在があったという事実は、決して忘れてはいけないことですね。
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