1.南極犬の仕事とは?何のために南極へ行ったの?
1-1.樺太犬とは?
1-2.犬ぞりに適任な樺太犬
1-3.樺太犬の現在は?
2.樺太犬の現在は?
2-1.選ばれし南極犬タロとジロ
2-2.鎖につながれたまま取り残された南極犬
2-3.奇跡の生還を果たしたタロとジロ
2-4.日本に帰国できなかったジロ
2-5.語り継がれる南極犬の物語
【掲載:2017.12.14 更新:2021.01.14】
南極犬の仕事とは?何のために南極へ行ったの?
南極犬とは、南極へ派遣される調査隊「南極観測隊」が使用する、犬ぞりを引く為に同行させた犬たちのことです。
南極大陸の天文や気象、地質、生物学の観測を行うことが南極観測隊の仕事ですが、南極犬は物資輸送の為に犬ぞりを引くことが務めとされていました。
スノーモービルが実用化されていなかった当時、犬ぞりは、南極の厳しい気候の環境下で最も主要な移動手段だったのです。
この犬ぞりに南極犬である樺太犬達が選ばれたのは、その特徴に理由があります。
◆樺太犬とは?
樺太犬というのは犬種名で、樺太及び千島列島で作られた種類だといわれています。北方の民族であるアイヌなどが、犬ぞりや猟犬として使っていた犬種でした。
体長は約64~76cm、体高は約54~67cm、体重は約22~45kgとされています。
長毛種と短毛種に分かれており、共に密毛で覆われ、毛色には、黒・白黒ブチ・狼灰色・茶・薄茶・白などがあります。
北海道に渡った樺太犬には長毛種が多いそうです。
耳は立ち耳と垂れ耳、尾は巻き尾と差し尾の種類がおり、体高に比べて体長が長く、胸部や四肢がよく発達していて幅も広く、前肢は特に太いそうです。
◆犬ぞりに適任な樺太犬
樺太犬は耐久力・耐寒性に優れており、粗食に耐えることができるという特徴に加え、性格は従順で融和性をもち、忍耐強くて勇敢。更に方位感覚に優れ、帰家性をも持っていたようです。
このような特徴から、南極という厳しい環境下で犬ぞりを引くには、最も適任な動物だったといえるでしょう。
犬ぞりは日本に限らず世界で南極の調査に使用されていましたが、1991年に「環境保護に関する南極条約議定書」が採択され、その付属書Ⅱによって世界で南極大陸への犬の持ち込みが禁止されました。
こうして南極犬としての仕事はなくなりましたが、現代ではドッグレースやイベントなどで犬ぞりが使用されています。
◆樺太犬の現在は?
樺太犬はというと、実は1970年代頃にほぼ絶滅してしまったといわれています。
1965年代頃までは北海道で、車や機械の替わりに、漁業・木材運搬・電報配達・行商などで使役犬として働いていましたが、車社会の到来で使役犬としての役割はなくなっていきました。
その後、他の犬種との混血で雑種化したり、野良犬となったものはエキノコックス症の発生と時期が重なった為に野犬掃討に合ってしまったといわれています。
日本で南極犬として活躍した素晴らしい犬種は、残念ながら現代では存在していません。
南極犬タロジロの生い立ちと人生
日本の第一次南極観測隊が南極へと出発したのは1956年11月でした。この時、総勢53名の第一次南極観測隊員と共に、22頭の樺太犬が南極犬として南極観測船で旅立ったのです。この内の2頭に、後に有名となるタロとジロがいました。
◆選ばれし南極犬タロとジロ
タロとジロは1956年1月に、北海道稚内市で誕生した樺太犬です。
父犬「風連のクマ」と母犬「クロ」の間に産まれたのが、タロ・ジロ、そしてサブロの3兄弟でした。
この兄弟犬が産まれた年、樺太犬による犬ぞりを南極観測隊で使用することが決定されました。
当時の北海道には約1,000頭の樺太犬がいたそうですが、犬ぞりに適した犬はこの内40~50頭程度でした。
最終的に集められたのは23頭で、この中にタロ・ジロ・サブロ、そして父の風連のクマがいました。
選ばれた犬達は、南極犬としての訓練を受けます。そしてこの訓練中に、サブロは病死してしまい、南極犬として旅立つ樺太犬は22頭となったのです。
南極観測隊と共に東京湾から出発し、日本の観測基地である昭和基地に到着した樺太犬の中には、病気などが理由でそのまま帰国する3頭がいました。その為、残りの19頭が南極犬として、犬ぞり引きに務めたのです。
越冬中には2頭が病死し、1頭は行方不明となりましたが、メスのシロ子は、8頭の子を産みました。この子犬の中には、ジロの子もいたそうです。
◆鎖につながれたまま取り残された南極犬
南極観測隊には越冬する「越冬隊員」と、越冬しない「夏隊員」がいます。越冬隊は1年に1度交替し、物資の補給もこの時にのみ行うのです。
1957年12月、第2次越冬隊を乗せた南極観測船が南極付近に到着しました。しかし悪天候に見舞われ、昭和基地へは到着できず、その後1958年2月8日に、アメリカ海軍の支援を受けて再突入します。
12日に第2次隊員の3名が先遣隊として昭和基地に到着しましたが、天候は悪化し空輸が困難となる状況が続きました。
天候は増々悪化し14日午前10時永田隊長より、天候回復次第再進入をする計画の為、先遣隊3名は観測船に戻るよう指示が出ます。3名は第1次隊が残した食料と樺太犬がいるので、越冬を続けたいと訴えました。再突入が不可能となっても、3名であれば越冬が可能だと考えたのです。
同日正午、隊長からの最終通告はこうでした。
「気象的にも空輸の可能性は後1便しかない。越冬には樺太犬が必要なので、野犬化したり、共食いをしたりしないよう、必ず鎖に繋いだまま帰船してほしい」
支援していたアメリカ海軍艦長の至上命令だったのです。天候の悪化は、アメリカ海軍砕氷船の氷塊脱出すら危ぶまれる状況に及んでいました。
3名は仕方なく指示に従いましたが、南極で出産した母犬シロ子と子犬8頭は連れ帰ることとしました。
そして2ヵ月分の食料と共に、15頭の南極犬は鎖に繋がれたまま、昭和基地付近に残されたのです。
その後越冬隊は、昭和基地への再突入を成功させられないまま、帰国期限の2月24日を迎えます。
第2次越冬・本観測の放棄が本部より命令として下り、計画は断念されました。それと共に、南極犬15頭の救出も見送られることとなり、残されたタロ・ジロ達の生存は絶望視されたのです。
帰国後、観測隊は犬を置き去りにしたとして、激しい非難を浴び、7月には大阪府堺市に、残された南極犬15頭を供養する為の樺太犬慰霊像が建立されました。
◆奇跡の生還を果たしたタロとジロ
それから約2年後の1959年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターが昭和基地で生存している2頭の犬を発見します。
急遽、第1次越冬隊で犬係をしていた北村泰一がその場に向かうことになりました。
到着した北村は、1頭の前足先が白いという特徴からジロではないかと考えて、名前を呼んでみます。するとその南極犬は、名前に反応して尻尾を振ったのです。もう1頭にも「タロ」と呼びかけるとその名前に反応しました。
こうして、タロとジロの兄弟が奇跡の生存を果たしていた事実が確認されたのです。
昭和基地には、鎖に繋がれたまま息絶えた南極犬が7頭おり、他の6頭は消息不明でした。
残された南極犬達は、犬用の食料や犬の亡骸を食べた形跡がなかったことからは、アザラシの糞やペンギンなどを食べて生き延びたのだろうと推測されました。第3次越冬の際にタロとジロが、アザラシを襲う場面や食料を貯蔵する姿も目撃されていたのです。
この南極犬の兄弟は、特に首輪抜けを得意としていたそうです。これが、奇跡の生存に繋がったのかもしれません。
◆日本に帰国できなかったジロ
タロとジロの生存が確認され、日本国内には大きな衝撃と感動が走りました。
2頭の歌「タロー・ジローのカラフト犬」が作られたり、当時開業したばかりの東京タワーに、日本動物愛護協会によって15頭の樺太犬記念像が設置されるなどして、日本中が南極犬達を称えたのです。
1961年5月4日、タロは第4次越冬隊と共に4年半振りに日本へ帰国しました。
帰国後は北海道大学植物園で飼育され、1970年8月11日に老衰で亡くなっています。14歳7ヵ月で、人間でいうと約80~90歳の大往生でした。亡骸は同園にて、剥製として展示されています。タロの血を引く子孫は、日本各地に散らばっているそうです。
ジロは5歳の年、第4次越冬中の1960年7月9日に昭和基地で病死しています。
その後ジロも剥製となり、上野の国立科学博物館に展示されていました。しかし極地で病死した状態で剥製にされた為、損傷が激しく簡単に動かすことはできなかったそうです。
◆語り継がれる南極犬の物語
1983年には、タロとジロの奇跡の生存を描いた映画『南極物語』が制作されました。
翌年公開されたその映画の影響もあり、タロとジロの剥製を一緒にさせてあげようとの運動が起こったのです。
この運動を受け、稚内市青少年科学館にて1998年9月2日から17日間に渡り、「タロ・ジロ里帰り特別展」が開催されました。この時初めて、タロとジロの剥製が同じ場所に陳列されたのです。
その後2006年にも、上野の国立科学博物館にて「ふしぎ大陸南極展2006」が開催され、7月15日から9月3日まで、ジロと共にタロの剥製が展示されました。
1961年からは、第1次南極観測隊に参加した樺太犬の訓練実施の地である稚内公園で、活躍した南極犬の慰霊祭が供養塔前にて執り行われています。
実は南極猫もいる?
南極観測隊と共に南極へ旅立ったのは、実は南極犬だけではありません。ガス検知の為にカナリアと、オスの三毛猫たけしがタロやジロ達と一緒に南極の地へ降り立っていたのです。
◆隊員たちを癒した南極猫たけし
たけしは動物愛護団体に保護されていた猫でした。
南極観測隊の出港を知った女性からたけしの同行を推薦され、オスの三毛猫は航海の縁起が良いということで、ペットとして乗船を許可されたそうです。
南極犬は犬ぞり引きを、カナリアは中毒ガスの検知をする仕事をしていましたが、たけしの役目は昭和基地で隊員達をひたすら癒すことでした。
第2次南極隊との交代時、南極犬達は取り残されることになりますが、たけしは身体が小さかった為、第1次南極隊と共に船に乗り込むことができました。こうしてたけしは無事に帰国します。
帰国後は特にたけしを可愛がっていた隊員と暮らす予定でしたが、日本に到着して一週間程で、たけしは行方不明となっています。たけしのその後を知る者は、残念ながらいないのです。
まとめ
人間の為、務めを果たす為に南極へと旅立った動物達がいたということを忘れてはいけません。
理由はあれど人間が見捨てた命があった事実を、また見捨てるしかなかった隊員達の無念を、語り継ぐべきだと私は思います。
– おすすめ記事 –
・犬友(いぬとも)がいるとこんなに安心!犬友作りに便利なアプリも紹介 |
・愛犬の七五三祝いにおすすめの神社&七五三レシピ |
・【行ってみた】FCIジャパンインターナショナルドッグショーは ゴージャスなワンちゃん満載で犬好き必見のショーでした! |
・県警初!小型警察犬「アンズ」とはいったいどんなわんちゃん? |