1.薩摩犬ってどんな犬なの?歴史は古い?
1-1.薩摩犬は「地犬」のなかのひとつ
1-2.薩摩犬の過去は「猟犬」…イノシシ狩りで大活躍
1-3.薩摩犬が絶滅しかけた大正時代
1-4.1989年頃から薩摩犬を保存しようという動き
2.薩摩犬の特徴
2-1.体のサイズは中型
2-2.ピンと立った耳
2-3.まっすぐな尻尾
2-4.真っ黒な目
2-5.黒毛胡麻の被毛
3.薩摩犬ってどんな性格をしているの?
3-1.飼い主に忠実
3-2.むやみに吠えない
3-3.俊敏性がある
3-4.泳ぎが得意
4.西郷隆盛と薩摩犬との関係
4-1.西郷隆盛ってどんな人?
4-2.西郷隆盛の銅像の隣にいるのは彼の愛犬「ツン」
4-3.銅像の西郷隆盛は実物とは違う!?
4-4.西郷隆盛と「ツン」との出会い
4-5.西郷隆盛はツンの他にも薩摩犬を飼っていた!
4-6.ツンはウサギ狩りが得意だった
4-7.戦争の敗北で生涯を閉じた西郷隆盛
【掲載:2018.03.02 更新:2020.11.24】
薩摩犬ってどんな犬なの?歴史は古い?
「薩摩」と言えば、薩摩藩。
中世、近世と勢力が強かった有名な藩で、その藩があったのが現在の鹿児島県。
薩摩犬は、そこで古くから人々の近くで生きていた歴史のある鹿児島県原産の犬です。
◆薩摩犬は「地犬」のなかのひとつ
日本犬と言えば、柴犬や秋田犬をはじめ6種類のワンちゃんがいますが、このほかに特定の地域に古くから生きていた「地犬(じいぬ)」と言われる和犬がいます。
薩摩犬は、そんな地犬のなかの一種で、古くから鹿児島県に生息していました。
地犬には、そのほかに川上犬(長野県)、岩手犬(岩手県)、屋久島犬(鹿児島県)、肥後狼犬(熊本県)、美濃犬(岐阜県)、大東犬(沖縄県)、津軽犬(青森県)、越後犬(新潟県)、日向犬(宮崎県)など多数の種類がいます。
これらはすべて血統が続いているわけではなく、なかには「絶滅した」あるいは「絶滅寸前」となっているものも多いです。
薩摩犬は実はすでに血統が途絶えているので、実物を見ることはできないでしょう。
◆薩摩犬の過去は「猟犬」…イノシシ狩りで大活躍
薩摩犬は、イノシシを狩るときの人間たちのサポーター「猟犬」として大活躍していたそうです。
運動能力もあって、人間に忠実な性格から、イノシシ狩りでは大事な役割を担っていました。
◆薩摩犬が絶滅しかけた大正時代
鹿児島県では、古い時代から薩摩犬の存在はかなり人間とは身近なものでした。
イノシシ猟では、薩摩犬同伴で狩りに行く光景は珍しくなく、かなり重宝されていた地犬だったと思います。
ただ、薩摩犬の繁殖には、次第に和犬ではなく洋犬との掛けあわせて産ませることも多くなりました。
そこで、純粋な薩摩犬の血統は少しずつ減ってきたようです。
また、一方では「猟犬」という扱いづらく獰猛な気質から、一般人には敬遠されるようになりました。
ついには、薩摩犬を飼う人がほとんどいなくなったため、「絶滅したのだろう」とさえ考えられていました。
それが、1920年(大正9年)頃。
洋犬と交配された薩摩犬は別として、”純”がつく薩摩犬同士の「純血の薩摩犬」は幻にまでなったのですが、その後一時的に復活のきざしが見えてきます。
それが昭和の終わり頃のことです。
◆1989年頃から薩摩犬を保存しようという動き
幻とまで考えられていた純血の薩摩犬でしたが、鹿児島県のある村で「薩摩犬の純血の”血”を濃く持つ薩摩犬が生きている」ということが判明し、「薩摩犬が復活できるのでは?!」と多くの人が期待を寄せました。
鹿児島県に住む愛犬家、そして獣医師などが薩摩犬を復活させるべく「保存会」なるものを立ち上げたのです。
一大プロジェクトとして活動にも熱が入り、10数年ほどでなんと100匹くらいの薩摩犬が復活したとも言われています。
短い期間で100匹にも増えたなんて、愛犬家たちの「薩摩犬愛」が分かりますよね。
ただ、彼らの繁殖活動もそれがピークで、次第に薩摩犬が少なくなっていきます。
そして、2010年頃には、再び純血の薩摩犬は絶滅…。
残念なことに、純粋な「薩摩犬」は、もう幻の犬となってしまったのです。
薩摩犬の特徴
薩摩犬が猟犬だったと耳にすると、「強そう」「怖そう」と獰猛なイメージを抱きそうですが、全体的に穏やかな雰囲気があります。
◆体のサイズは中型
薩摩犬の体型は中型です。
大きさとしては、日本犬として世界的にも知られている「柴犬」と同じくらいだったようです。
ただ、柴犬は日本犬保存会によると「小型」に分けられています。
体重が10キロ前後の柴犬は、場合によっては中型サイズにも見えますよね。
おそらく、薩摩犬もそのような感じで、小型から中型くらい、それほど大きくない体型と考えることができます。
◆ピンと立った耳
薩摩犬の耳は、整った三角形で音がよく聞こえるかのように、ピンと真上に立っています。
◆まっすぐな尻尾
薩摩犬の尻尾は「指し尾」と呼ばれ、まっすぐに伸びているのが特徴的です。
◆真っ黒な目
薩摩犬の目は、とても黒く澄んでいます。
黒いなかにも輝きがあり、そんな目で見つめられると癒されそうですね。
◆黒毛胡麻の被毛
薩摩犬は、子犬時代のころから成長するまでに被毛の色が若干変わります。
子犬のころは、だいたい茶色なのですが、成長するにともなって、茶色から少し黒い褐色になります。
成犬となったときの被毛は「黒毛胡麻」とも言われ、赤あるいは黒に茶色が混ざったような色合いです。
どちらかというと「黒」の色味が強いので、黒毛胡麻と言われています。
薩摩犬ってどんな性格をしているの?
猟犬というイメージから「強面なのでは?」と思うかもしれませんが、西郷隆盛がメロメロになっていただけあって、凛々しいなかにも可愛さもありました。
そんな薩摩犬の性格はいったいどんな感じなのでしょうか。
◆飼い主に忠実
日本で生まれ育った和犬は、主人に忠実だと言われることが多いですよね。
特に、忠犬ハチ公のモデルにもなった「秋田犬」、最近海外でも大人気の「柴犬」は、日本犬のなかでも飼い主のことが大好きで忠誠を尽くす犬種です。
やはり、日本に古くから生息しているという共通点を持つからなのでしょうか。
薩摩犬も、飼い主にとても忠実な性格だったようです。
イノシシ狩りという人間のお手伝いをするからには、飼い主に忠誠を誓うことで責任感を持って動かなければ務まらなかったのかもしれませんね。
◆むやみに吠えない
猟犬としての任務に必要なときにはもちろん吠えますが、むやみに吠えない利口な性格です。
◆俊敏性がある
「狩り」を手伝わせるなら俊敏性は重要ですよね。
薩摩犬は、とても瞬発力がある犬で、野生のイノシシを追いかけるのが上手かったそうです。
イノシシの追撃が上手いだけでなく、自分の役割をしっかり分かっている賢さも魅力だったのでしょう。
人々に重宝されていたのも分かるような気がしますね。
◆泳ぎが得意
運動能力が高い薩摩犬は、水のなかで泳ぐのも得意だったようです。
水のなかで泳ぐ機会がどれだけあったのかは想像つきませんが、猟犬時代は勇敢に獲物に立ち向かっていたことでしょう。
西郷隆盛と薩摩犬との関係
さて、冒頭でもお伝えしたように「西郷隆盛」と「薩摩犬」はかなり密接な関係があります。
いったいどんな関係があったのでしょうか。
◆西郷隆盛ってどんな人?
まずは、西郷隆盛がどんな人なのかを簡単にお話しします。
西郷隆盛が生まれたのはもちろん鹿児島県、勢力の強かった薩摩藩の地元です。
西郷家の子供として、幼き頃には武士になるべく厳しい教育を受けて育ちました。
成長したころには、幕末の政治に深く関わる人物として大活躍しましたが、45歳のころに明治政府から退き、故郷に帰って穏やかに暮らします。
そんな頃に出会ったのが、銅像にもなっている愛犬「薩摩犬」だったのです。
◆西郷隆盛の銅像の隣にいるのは彼の愛犬「ツン」
西郷隆盛と犬の姿と言えば、東京「上野公園」の銅像を思い浮かべる人が多いでしょう。
少しガッシリした体型の西郷隆盛の横には、彼の愛犬と見られるワンちゃんがオスワリしていて、とても微笑ましいですよね。
銅像になってまでも動物が一緒にいるなんて、彼がいかに「犬好き」だったかということが分かります。
西郷隆盛の隣に犬がいるのは、彼が単に犬好きだったからではありません。
銅像の横にいるのは、彼が飼っていたとされる薩摩犬「ツン」の姿なのです。
銅像を作る時点でツンはすでに他界していましたので、モデルになったのは他の薩摩犬のオス。
オスをモデルにしたのは、銅像にするには「大柄」な方が見た目も迫力があるからという見栄えの関係だそうです。
実際のツンは、小柄なメスの薩摩犬だったので、銅像のサイズよりは小さめだったと言われています。
◆銅像の西郷隆盛は実物とは違う!?
上野公園の銅像のツンの姿は実際のものとは違いますが、実は「西郷隆盛」自身も本当の姿とは少し違うのだとか…。
西郷隆盛は「写されるのが嫌い」という理由から写真が残っていません。
銅像のために参考にするものがなく、家族の話や残されていた抽象画から製作され完成したもの。
そのため、完成した銅像を見た家族が「ちょっと違うかも」という感想を述べたという説もあります。
おそらく、イメージ的には極端に違わないとは思いますが、写真が残っていないとなると本当の西郷隆盛の顔がちょっと気になるものですね。
◆西郷隆盛と「ツン」との出会い
西郷隆盛の愛犬だったツンは、そもそも他の飼い主さんと暮らしていたワンちゃんでした。
初めてツンに会ったときに「一目ぼれ」をした西郷隆盛が、元の飼い主さんに頼み込み、譲ってもらったのがツンとの出会いでした。
元の飼い主さんは、ツンとの別れがきっと寂しかったと思います。
でも、ツンは西郷隆盛に大切にされていたことをどこかで耳にして嬉しく思っていたのではないでしょうか。
そもそもツンが飼われていた地元、鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川には、大河ドラマをきっかけに「西郷どんのツン」と名前が刻まれたツン単独の銅像も建立されていて、観光スポットにもなっています。
◆西郷隆盛はツンの他にも薩摩犬を飼っていた!
実は、西郷隆盛はツンの他にも猟犬を10匹以上飼っていました。
特に、薩摩犬が好きだったようで、彼の愛する犬たちのほとんどが薩摩犬でした。
政治を離れ地元に帰った西郷隆盛は、だんだんと太り気味の体型となり「健康のために痩せるように」と医師から助言されていました。
そこで「ダイエット目的」もあり、西郷隆盛は大好きな犬たちと山へ出かける生活を日課にするようになっていきます。
◆ツンはウサギ狩りが得意だった
ツンは猟犬なので、ウサギ狩りが得意だったそうです。
鹿児島に戻ってきた西郷隆盛の日々の日課は、散歩をはじめ、愛犬たちと山にウサギ狩りに行くこと。
いつも、ツンと行動をともにしていました。
◆戦争の敗北で生涯を閉じた西郷隆盛
西郷隆盛と言えば西南戦争が頭に浮かびますよね。
政治を退いた西郷隆盛が地元で穏やかに暮らしていたところに、士族たちの反乱のリーダーになってほしいと声をかけられます。
それが西南戦争に結びつきます。
この戦いには、彼は愛犬のうちの何匹かを一緒に連れていったと言われています。
最終的には、自分たちの「敗北」を悟った西郷隆盛が山のなかで自決する直前に、犬を逃がしたという逸話が残っています。
気になるのはツンのことですよね。
どうやら、ツンは戦争には連れていかれず、信頼できる友人に預けられていたのだとか。
預け先の人がとても良い人で、主人を亡くしたツンは生涯を終える瞬間まで優しく育ててもらったと言われています。
まとめ
西郷隆盛と愛犬の銅像は頭にイメージできても、それが薩摩犬という由緒ある猟犬だったということを初めて知った人も多いのではないでしょうか。
日本犬と言えば、柴犬や秋田犬が有名ですが、それ以外でも薩摩犬のように「日本」生まれのワンちゃんたちが数多くいたことが嬉しくなりますよね。
ただ、残念なのは薩摩犬がもう幻となってしまっていること。
一度復活しかけたのに、再びいなくなったのは残念なことですが、愛犬家である西郷隆盛が薩摩犬のツンを飼っていたエピソードは心温まるものを感じますね。
– おすすめ記事 –
・日本最大のペットイベント『Interpets ~人とペットの豊かな暮らしフェア~』が過去最大規模で3月30日から開催! |
・【愛犬と一足早くXmasを楽しもう】日本最大級わんこのマルシェ「わんだらけ」が12/3(日)開催!!/名古屋 |
・プロ野球をサポートする犬!?日本の球団でも活躍中、ベースボール犬! |
・モフモフの白い毛並みとつぶらな瞳が愛しい!日本スピッツの性格や特徴をご紹介☆ |