登山者を救う犬のお仕事「山岳犬」
●山岳犬とは?
登山者が山で遭難したり、雪山での雪崩や滑落により行方不明となる事故が起きた時。
鋭い嗅覚を駆使して、捜索や救助を行うように訓練されたワンちゃんを山岳犬、または山岳救助犬と呼びます。
日本では、災害救助犬という呼び方の方が浸透しているかもしれませんね。
雪崩が起きた場合、人間では4時間かかる捜索活動を30分程で完了するといわれている山岳犬は、正に人間にとって心強いパートナーです。冬季オリンピックでも、雪崩等の事故に備えて、山岳犬が働いているそうですよ。
●古くから活躍する山岳犬
そんな現代においても活躍をみせている山岳犬は、スイスが発祥国といわれています。
その歴史は古く、現在のセント・バーナードの祖先となる犬種が、17世紀頃からアルプスの厳しい気候の中で遭難者の救助にあたっていたそうです。
この犬種にあたる有名な山岳救助犬に「バリー」がいます。バリーは生涯、40人以上の人間を救ったとされており、最も人間を救助したセント・バーナードとして、現代に語り継がれています。
古くから人間の為に働いていた山岳犬。その歴史は古いですが今でも変わらず、山岳犬として活躍している犬が世界中にいます。ちなみに現代では、シェパードが主に山岳犬として活躍しているそうです。
日本でも活躍していた山岳犬の平治とは?
登山者に連れ添って山に登ることで親しまれ、時に遭難者を救ったとされる有名な犬が日本にもいました。
名を「平治」といいます。その名前からオスを想像しがちですが、平治はメスの秋田犬でした。
捨て犬だったとされており、その素性も出生日も正確には分かっていません。
警察犬・盲導犬のように公的認定を受けてはいませんが、平治は沢山の人間から親しまれた山岳犬として知られ、映画の題材にも使われた有名な犬なのです。
●山岳犬平治の誕生秘話
1973年の夏、大分県の九重連山付近で白い子犬が保護されました。
保護したのは、観光施設「長者原ヘルスセンター」で登山バスの切符売り場に努めていた荏隈保さんという方です。
当時、その子犬は重い皮膚病にかかっており、身体の約半分の体毛が抜け落ちている状態だったといわれています。
荏隈さんは犬好きで、自宅に複数の犬を飼っていました。その為、子犬を連れて帰ることができず、職場付近で世話を続けたのです。
その内に子犬は、登山者から貰えるエサが目当てで登山者と山へ登るようになりました。この子犬が、後に山岳犬として活躍する「平治」となるのです。
同年の秋、50代の夫婦が山中で迷っていた所に、平治が姿を現しました。そして、夫婦を長者原登山口まで導いたのです。
平治のおかげで難を逃れた夫婦はその話を荏隈さんに伝え、「せめてもの礼にその犬の皮膚病を治してやって欲しい」とお金を置いていきました。
荏隈さんはそのお金で、皮膚病に効果があるという法華院温泉の湯の花を取り寄せ、患部に繰り返し塗ってあげました。すると、平治の皮膚病は徐々に回復していったのです。
病状の回復と共に、平治の体も大きくなりました。冬になる頃には、立派な被毛と太い脚をもつ逞しい体に成長したそうです。
荏隈さんは付近の山を熟知していた為、登山ガイドや遭難者の捜索を引き受けていました。
ある時、平治岳(ひじだけ)に中学生が修学旅行に訪れ、荏隈さんはガイドを頼まれます。その時、近くにいた平治に声を掛けると、平治は中学生を先導するように山を歩き始めました。これを見た荏隈さんは、平治をガイド犬として訓練しようと思い立ったのです。
この時、山の名前をとり「平治」と名付けたそうです。
荏隈さんはその後しばらく、平治に登山者の誘導法を語りながら、一緒に登山を続けました。そうして、登山道を覚えさせたのです。
●平治の活躍を記した「平活ノート」
それから約13年間、平治は山岳犬を続けました。しかし、その間の平治の行動はほとんど明らかではないのです。
平治は単独で不特定の登山客に付き添っていた為、荏隈さんでさえその行動を把握し得なかったといわれています。
ではなぜ、平治は沢山の人間に親しまれた山岳犬として語り継がれたのでしょうか。
実は、山中で平治と行動した登山者たちのメッセージが書かれた「平治ノート」が存在していたのです。
後に平治を取材して出版された伝記の著者坂井ひろ子さんは、そのノートから平治の概ねの行動を読み取ったといいます。
登山者たちと行動した平治の行動は、要約すると下記の通りです。
- 登山客がバスから登山口に降り立つと、平治が座っている。
- 行き先を告げて歩き出すと、平治は言葉が分かるかのように先頭に立ち、人間に併せてゆっくりと歩く。
- 分岐点に差し掛かると止まり、登山者が追い着くのを待っている。
- 登山者が山小屋などへ入ると、呼ばれない限り中に入らない。
- 食事は登山者が与えたもの以外は欲しがらなかった。空腹時は自力で狩りをしていたようだ。
- 人間に対して、吠える噛む等の行為は決してしなかった。
更に平治は、負傷したり、道に迷って助けを求める登山者の元に突然現れたといいます。そしてその登山者を先導したり、身体を支えるなどして登山口・山小屋へ案内したそうです。
当時山小屋を営んでいた男性も「平治がしばしば危うい状況の登山者を連れてきた」と証言しているのです。
平治の評判は登山者の間で広まり、餌を用意する者や、平治を目当てに訪れる者もいました。また、平治の山岳犬としての行動に、お礼として餌代などの金銭を預ける者も多くなっていきます。
そんな登山者達の記録をする為に置かれたのが「平治ノート」だったのです。ノートの横には、金銭を置いていく登山者達の為に、竹筒が置かれました。平治の鑑札・予防注射・餌等の費用は、そのお金で賄われたそうです。
平治の噂を聞きつけて、テレビ局・新聞社が取材に訪れたこともありました。テレビ局の撮影隊を見た平治は、登山客ではないと察したのか、荏隈さんが頼んでも動きませんでした。仕方なく撮影隊は登山を始めます。すると漸く平治が山岳ガイドをする様子を撮影できたそうです。
●最期まで山岳犬で居続けた平治
平治が活動していた期間内に、九重連山では遭難事故が一度も無かったと伝えられています。
しかし山岳犬として13年目を迎える頃、平治の体は衰えていきました。不調の日は登山をせずに、登山口から登山者を見送るようになったのです。その後、右後足の引き摺りや耳が遠くなった様子が感じられた為、荏隈さんは平治に山岳犬を引退させる決意をします。
1988年6月11日、九重連山の山開き前夜祭で平治の引退式が行われました。400人もが見守る中で、荏隈さんが作った「ガイド犬」の首輪を平治の子供、「チビ」に譲ったのです。
平治はそれから山へはほとんど登らずに、登山口周辺で休むことが多かったといわれています。
1988年8月3日早朝、星生キャンプ場から、荏隈さんに「平治が倒れた」との報せが入ります。平治は前日に、登山客をそのキャンプ場まで案内していたのです。
現地に駆け付けた荏隈さんは、登山者達と共に平治を励ましましたが、仕事の為に一旦職場へ戻りました。昼過ぎに再び現地へ戻った時には、平治は息を引き取っていたのです。
荏隈さんは平治を登山口まで背負いながら戻り、これまでに平治と関わりのあった人達に平治の逝去を報告しました。
平治は長者原ヘルスセンター近くの小高い場所に葬られ、8月6日には100名余りが参列し、追悼式が営まれました。
●受け継がれる山岳犬 平治
平治は生前に幾度か出産をしており、子の多くは荏隈さん等の手配で貰われて行きました。しかしそんな中、子を取られるの嫌がった平治が、山中の避難小屋で隠れて出産をしたことがあり、その時に瀕死で生き残った子犬が1匹だけいました。
その子犬が前述した平治の後継者「チビ」なのです。山岳犬の仕事を平治から受け継ぎ、第二平治として活躍します。
その後も平治の子だけでなく、孫・曾孫に至る計6頭が、「平治」という名を受け継いで山岳犬となりました。
平治はその名前だけでなく、山岳犬としての立派な生き様を後世に残してくれたのです。
1989年6月10日、登山客らの要望から、長者原ヘルスセンター近くに平治の銅像が建てられました。九重連さんに頭を向けた立ち姿は、平治の山岳犬としての生前の姿を模したものだといいます。
犬連れ登山は賛否両論
登山ブームの煽りで、現代では気軽に登山を楽しむ方が増えています。愛犬と一緒に登山をしたい!という方も多いですよね。
しかし、犬連れ登山に関しての意見は実は、賛否両論なのです。
愛犬は家族同然、登山だって一緒に楽しみたいですよね?環境省でも、国立公園への犬の入山は原則自由としており、入山を禁止する法的根拠はないのです。
しかし一方では、犬の入山が山の生態系に悪影響を及ぼすという意見もあるようです。勿論、これに関しての科学的根拠は無いのですが、一概に無視できることではありませんよね。
何より犬嫌いの登山者からすれば、狭い登山道で犬と擦れ違うことは恐怖であり、犬に驚いて滑落する危険性も無いとはいえません。
●犬連れ登山は思いやりが大切
愛犬との入山に関しては、飼い主さんが十分に注意を払うこと、思いやりを持って登山をするということが大切です。
排泄物を持ち帰る、リードを短く持つ、人と擦れ違う際は道を譲る等、基本的なマナーをきちんと守りましょう。
混雑する時間帯は避けた方が良いかもしれません。
山によっては犬の入山を規制している所もあります。事前のチェックも忘れないで下さい。
また、犬連れ登山では適した山選びも重要です。岩場は足を痛めますし、暑い時期は熱中症にも注意しなければなりません。
愛犬に無理をさせないよう、登山計画を立てましょう。
譲り合いの心を忘れずに、愛犬との山の思い出を作ってくださいね。
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